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家づくりコラム新事務所「大江ビルジング」と大阪のレトロ建築

こんにちは、ダイシンビルドのWEBスタッフ後藤です。
先日無事に引っ越しが完了したダイシンビルドですが、WEBスタッフはリモートのため、まだ新事務所に行っていません。

新事務所と書くと、新しい事務所のイメージですが、引っ越した大江ビルヂングは、大正時代に建てられた大阪初のオール賃貸型オフィスビルなんです。
今回のコラムでは、新事務所の入る大江ビルヂングと、大阪のレトロ建築についてお伝えいたします。

大阪のレトロ建築について

大阪市北区に建つ、弊社が入居した大江ビルヂングからすぐの場所にある大阪中之島。
太閤秀吉の頃から、全国の商人が集まり京都・琵琶湖を水路で繋いだことから、日本一の経済都市となりました。
大阪市北区と合わせて、大阪の象徴ともいえる経済都市エリアは、世界初の本格的な先物取引市場である「堂島米会所」もあり、お米の価格も江戸ではなく大阪で決められていた歴史があるほど、経済の中心地でした。
そんな大阪中之島ですが、実は大阪港はその昔水路が浅かったため神戸港のように外国船が入港できなかった歴史があります。
神戸は異人館や居留地が現す通り、その昔は外国人の街でもありました。
そのため、外国人によって建てられた建築物が今も多く残っており、今日も多くの観光客が訪れる地としとても人気があります。

同じように大阪中之島にも西洋風のレトロ建築がいくつも残っていますが、神戸とは違う趣きなのに気づかれるでしょうか?
そう、「風」とお伝えした通り、大阪のレトロ建築は、日本人が考えた「西洋建築」なのです。
神戸と大阪、圧倒的に後者の方が規模が大きい気がしますが、理由は先に述べた水路の浅さです。
日本一の経済都市でありながら、外国船が入港できないことが理由で、大阪で居留地が発展することはなかったのです。
そのため外国人によって建てられた建物がほとんどである神戸に反し、「日本人が日本人による解釈で西洋建築」を建てたのが大阪のレトロ建築が西洋風である理由です。

大阪レトロ建築の中でも代表的なのは、1918年。
「義侠の相場師」とも呼ばれた株式仲買人、岩本栄之助の莫大な寄付によって建てられた中之島公会堂です。
今も大阪のシンボルとして立つ公会堂は、1903年に建築が始まったイギリスのネオバロック様式を取り入れて建てられた歴史的な建築物です。
「市民の、市民による、市民のための」公会堂を目指して建てられた公会堂は、白亜の外観やドーム型の屋根が特徴で、歴史と文化の重みを感じさせられる建物ですが、100年以上経過した今も尚コンサートやイベントが頻繁に開催されています。
正に「市民の、市民による、市民のため」の公会堂として長く愛されているのだと感じますね。
ただ、残念なことに莫大な寄付を行って素晴らしい建物を作り上げた岩本栄之助は完成を見ることなくこの世を去られています。
大阪は、神戸や遠くは横浜と違い、自分たちの手でレトロ建築をいくつも作り上げた商人の街です。

西洋建築が建てられた理由も、確固たる個性を持って自分たちを売り込む為や、信頼関係を築くのために社交場が必要だったからです。

2023年度前半の朝ドラ「らんまん」では時代に合わせて西洋に寄せていく様子がいくつも描かれていますが、大阪はその逆。
大阪の文化に西洋を取り入れています。
理由を知れば知るほど、大阪は商人の街であり個性の街であると実感しますね。

このように、レトロ建築の流れをちょっと調べるだけでも大阪らしさが見えてきますが、こちらも大阪独特の文化?ヒョウ柄ではなくヒョウ「の」柄。トラ柄ではなくトラ「の」柄文化はどこから来たのか気になりますね・・・。
いつから始まったのか。どこから始まったのか。いくつぐらいから着用するようになるのか。いつか調べてみたいと思います。

大阪のレトロ建築紹介(弊社新事務所からの距離付き)

中之島公会堂(弊社から徒歩8分)

先ほどご紹介した、中ノ島公会堂は、弊社からたった8分の距離に位置しています。
レストランや展示室もありますので、お時間がございましたら是非足を運んでみてください。

大阪府立中之島図書館(弊社から徒歩4分)

中之島図書館は、1904年に開館した、西洋風の建築様式で建てらられた図書館です。
その名の通り、今日も図書館として活用されていますが、建物自体が歴史的な価値を持つ大正ロマンの雰囲気が味わえる建物です。
レトロ建築の紹介なので、図書館にはあまり触れませんが、一般読者だけでなく学生や研究者にとっても重要な情報源となるほど様々な書籍や資料が収蔵されているのが特徴です。
中之島図書館は、大阪市内でも特に歴史的な建物として知られ、観光名所の一つでもあります。図書館の周辺には美しい公園や川が広がり、散策することもできますよ。

日本銀行大阪支店(弊社から徒歩6分)

御堂筋沿いに建つ旧館は、1903年ベルギー国立銀行をモデルに建築されました。
外壁や頂上部の鉄骨ドーム等は保存改修し維持されていますが、内部はすべて建て替え済みです。
高層ビルが乱立する淀屋橋ですが、御堂筋と中ノ島が交差する周辺にゆとりを感じることができるのは、日本銀行大阪支店の間口が広く高さが抑えられていることが理由です。

船場ビルディング(弊社から徒歩15分)

1968年に建設された、地上17階、地下2階の建物です。
建物全体の床面積は約13,000平方メートルで、オフィススペースや店舗の他、レストランやカフェなどもあり、飲食施設も充実しています。
気軽に訪れることができる、大阪のレトロ建築の1つです。


※お写真は船場ビルディング公式サイトよりお借りいたしました。

大江ビルヂング

裁判所の近くには法律事務所が乱立していると言われますが(実際乱立しています)、大江ビルヂングもその一つ。
大正10年、大阪高等裁判所に近かったことから、大江弁護士が建てた法律家向けのテナントビルが大江ビルヂングです。
現在も変わらず法律事務所が多く入居されていますが、弊社のような会社の他、デザイン事務所やギャラリーなども増え、昔の入居者とはちょっと毛色が変わったのではないかと思っています。

設計したのは、大阪市の渡辺橋にある中央電気倶楽部を手掛けた葛野壮一郎氏。
非常に重厚感があり、建物の前に建つと圧倒されるほどの雰囲気を持っている石造りの建物のようですが、石造りに見えるのはフェイクで実は鉄筋コンクリート造りなんです。
面白いですよね。

外観に新古典主義様式を直線的に取り入れたウィーン分離派の特徴や、ルネッサンス様式を随所に取り入れ、ユニークな意匠を実現しています。
一応和洋折衷とのことですが、見た感じはやはりほぼ洋風ですね。

外観をさらに印象付けている点に、入り口の庇があります。
甲子園球場の銀傘のような庇は青銅でできており、見上げると圧巻です。
戦前の建物には、玄関前に「車止め」が作られることが多かったので、庇本来の役目のために取り付けられたものだとは思いますが、この庇がこのビルの重厚感作り出す一役になっているのは確実だと思います。
事務所にお越しの際は、忘れずに庇を見上げてみてくださいね。

事務所の入り口です

事務所内です。今では考えられない丁寧な装飾が施されています。


Photo by Morioka


Photo by Shimada


Photo by Shimada


Photo by Shimada

まとめ

大阪レトロ建築は、いくつも残っており、そのどれもが深い重みを感じさせてくれます。
意匠や素材はもちろんのこと、時間の積み重ねでしか生み出せないものがあることを感じさせてくれるのが建築だと思っています。
その理由は、今回紹介した大阪のレトロ建築のような、財をつくしシンボルとして建てられたものだけでなく、京町家や、最近はやりの中崎町にも同じようなものを感じるからです。
つぶすのは一瞬で簡単です。
でも、時間がすべての人に平等であるように、建物の積み重ねる時間もまた同じです。
せっかく残った建物です。
これからも京町家をはじめ、大切に住み継がれてきた歴史ある家を生かせる町やリノベーションもますます増やしていきたいですね。

まとめと言いつつ・・・せっかく大阪のレトロ建築をご紹介したのですから、家が大好きな工務店らしく、最後に、大阪に残るタイムスリップしたかのような昔の住宅街中崎町についてご紹介いたします。

中崎町は現在とても人気の高いエリアで、カフェや職人の1点ものを購入できるアトリエや雑貨屋など、様々な店舗が軒を連ねています。
これだけ書くとよくある街のように感じますが、中崎町は他とは全く違います。
理由は第二次大戦末期の大阪大空襲の戦火を奇跡的に逃れられたエリアであるため、大正や昭和初期に建てられた「木造」住宅や長屋が今も残っているのです。
大阪のレトロ建築が、鉄筋コンクリート造りであることを考えると、大都市大阪のど真ん中に今でも木造で残っていることがどれほど凄いことかお判りいただけるかと思います。
実は、大阪で最初の闇市もこのエリアに今もスーパーとして残っているほど、歴史のある街なのです。
関西一の繁華街である梅田まで徒歩10分前後という立地ながら、今もノスタルジックな街並みが残っているのは、戦火を逃れられただけではなく、戦後に行われた土地の区画整理が何故かこのエリア一帯では行われなかったことも理由です。
なぜ行われなかったのか、理由は不明ですが、高層ビルやマンションがそびえ立つ中で、ここだけが時代に取り残されたかのような不思議な感覚が味わえます。
特に、1916年(大正5年)に開校され、2004年(平成16年)まで地元の子供たちが通い続けた旧・済美小学校。
2010年に耐震性の問題から取り壊され、今は普通に現代の建物が立っています。
道を一本隔てて、現代のビルと大正時代の木造建築物が建ち並ぶ光景から始まる中崎町は、狭く入り組んだ路地が今も多く、路地の先に何があるのか想像もつきません。
タイムスリップしたかのような街歩きが楽しめるので、弊社の新事務所に遊びに来られた際には、ぜひ足を運んでみてくださいね。

後藤 泉


阪神淡路大震災で自宅が半壊。その後慌てて建て替えた家は、気になる箇所が多く、夏は暑く冬は寒い家でした。そんなことから住宅業界に興味を持ち、ダイシンビルドのWEBスタッフを務めさせていただくようになりました。どうぞよろしくお願いいたします。プロフィール写真は、我が家の愛猫です。